麻雀とか、思うこととか

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るーすぼーい氏の作品における純文学性

今更だが車輪の国、向日葵の少女をプレイした。こんぼくや魂響で注目はしていたがプレイするまでには至らなかったあかべぇそふと2だが、G線上の魔王をプレイしたのを皮切りに興味が出てきて、積んであった車輪の国をやろうと思った次第である。
さて、G線上の魔王もそうだったように車輪も章仕立てである。ただしG線と違う点を言えば、G線では各ヒロインルートに突入した場合そこで終わりとなるが、車輪では最終章まで続くという点だ。これは全てのヒロインに「物語」の終わりまで見せるという利点はあるが、共通ルートをプレイするのに飽きてしまうという欠点がある。正直言った話、ヒロインの好みなどを抜かしシナリオレベルで作品を評価した場合車輪はG線よりも上に来ると思うが、このシステムだけは面倒くさい。延々とスキップ、選択肢を繰り返すのは流石に疲れた。

で、車輪の評価は非常に高いという結論になるわけだが。何故このような高評価をつけたのか。それをプレイ後自問自答していた。その結論として、るーすぼーいの作品が持つ純文学性というものがあるのではないかと思った。

純文学。wikipediaによれば、芸術性のある、大衆文学と対比する作品という事になっている。では芸術性とは何か。芸術とは創作者の立場にたった場合、その作者の思想、感情、定立などを表現した物である。
大衆文学とは大衆の興味を満たすことを目的とした、芸術性よりも娯楽性、商業性を重んじたい文学だ。主にSF、推理小説などがここに来る。ライトノベルなども大衆文学と言って差し支えないだろう。
噛み砕いて言えば現実を元とした作品で、その作品が何らかの思想を持ったもの。これが純文学の定義となる。

さて純文学について話したところで、本題に入ろう。車輪、G線のどちらにも共通している事がある。それは兄弟若しくは肉親が革命思想、反社会思想を持ち行動を起こしている事。次に現状の刑罰に対し不満を持っている人物が登場することである。
特に後者。現状の刑罰に対し不満があり、それを改革することが是であるか否であるか。これが両作品のテーゼとして最上位に君臨している。此処が故に、るーすぼーいの作品は純文学性を持ち合わせている。とは言ってもあくまでも架空の世界での出来事でもあるし、俗的な作品であることは確かだ。よってこれを中間文学と名づけておきたい。定義としては、純文学性を持った大衆文学的手法により編み出された創作物といった所か。

純文学性があることは解った。では何故純文学性があれば、中間文学であれば面白いのか。それについては、ひとえにこちらの世界に中間文学が少ないからであると信ずる。
以下に数点の作品と、それが何処に位置するかを現した表を示す。中間文学と思われるものには○をつける。

Kanon ――――――大衆文学
CLANNAD ―――――中間文学○
Fate/stay night ―大衆文学
Carnival―――――大衆文学
君が望む永遠―――大衆文学
H2O ―――――――大衆文学
戦国ランス――――大衆文学
夏空カナタ――――大衆文学
SNOW―――――――大衆文学
ふりふり―――――大衆文学

10作品中1作品のみが純文学性を持っている作品という事になった。
1割。勿論世にあるエロゲーを数えればもっと存在するのかもしれないが、少なくとも今上げただけでは1割しかない。
よってこの少なさが希少価値となり、ものめずらしく思え高評価に繋がったのではないかと考えた。

ここで勘違いして欲しくないのは「純文学的だから楽しい」わけではない。大衆的な文学の楽しさも無論ある。単純に萌えていればいいだけの作品も、まあつまりキャラゲーだが、それはそれで楽しい。しかしそれだけでは甘ったるい。文章というスタイルを取るならばやはり文学的な楽しさというものも欲しくあり、やはり純文学的な楽しさも欲しいと思いはするのだ。


蛇足だが、今作で最も気に入ったヒロインは璃々子様。
やっぱり子供時代のエピソードがあると惹かれる。
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テーマ:PCゲー - ジャンル:ゲーム

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2013-07-24 Wed 01:04 | | #[ 編集]

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